ドーズ案(Dawes Plan)(1924年)



 ドーズ案(Dawes Plan)は、1924(大正13)年に成立した、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で締結されたドイツの賠償方式を緩和、新たな賠償方式として作られたものである。
 1919(大正8)年5月にヴェルサイユ宮殿で結ばれたヴェルサイユ条約では、アルザス・ロレーヌ地方のフランスへの割譲、全ての植民地の放棄をはじめとする領土割譲、軍備制限など、ドイツにとって過酷な条件であった。特に1921(大正10)年4月までに1320億金マルクと決定された賠償金は、返済不可能といえる天文学的数字で、ドイツ経済を強烈なインフレーション不況に貶めていった。このため、ドイツの経済、政情は不安定なものとなり、アドルフ・ヒトラーによるミュンヘン一揆が発生するなど、国内事情は急激に危機に陥り、賠償金返済どころではなくなっていった。さらに、賠償金返還が行われないことにいらだったフランス・ベルギー両国が賠償金返還に不可欠なドイツの工業地帯であるルール地方を武力占領したことにより、さらなる悪循環を呈した。インフレーションはレンテンマルクの発行により奇跡的に収まったものの、まだまだ安定しているとはいえない状況にあった。
 この状況を見かねて、アメリカの財政家ドーズ(Charles G. Dawes)を会長とする特別委員会により、新賠償方式が作られることとなった。それは、支払方法・賠償期限を緩和するだけでなく、アメリカ資本のドイツへの貸与も行われることになった。賠償は、初年度の10億金マルクから毎年増額して5年目には25億金マルクとするが、その額はドイツ経済の健全化、産業の振興にあわせてきめる。また、計画実施のために鉄道、国立銀行を連合国の管理下に置き、総監督官として米国の財政家P・ギルバートをベルリンに駐在させるなど。このドーズ計画は、いわば破産に瀕した大会社を更生さどせるために債権者集団が強力なテコ入れを決意したようなものである。さらに米国からドイツに8億金マルクの借款を供与し、この8億金マルクで「レンテンマルク」を清算して金本位制を確立し、新たにドイツ中央銀行を設立することになり、いわゆるドイツ経済復興のための当面の運転資金の意味合いが強かった。また、このドーズ案の受け入れによりルール占領が解消されただけでなく、アメリカ資本投下によるドイツ経済や国内事情の再構築・合理化の基礎を作っていくきっかけとなり、ドイツ経済は復興を始め
た。
 しかし、それでもドイツにとって賠償金の負担は大きく、のちのヤング案につながることになる。
トップ用語辞典>ドーズ案