1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件関係資料

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●関係者のその後
・関与者
 色は7月20日の暗殺未遂事件に直接関与したもの。
写真
氏名
その後
Stauffenberg, Claus Graf Schenk von
伯爵クラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク
(国内予備軍参謀長)
Chef des Stabes beim Befehlshaber des Ersatzheeres (BdE)
1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件の実行犯。
1944年7月21日午前0時15分に、国内予備軍司令官フロム陸軍上級大将の命令で、陸軍総司令部の中庭にて銃殺される。

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Haeften ,Werner von
ヴェルナー・フォン・ヘフテン陸軍少尉
(シュタウフェンベルク副官)
Adjutant Stauffenbergs
1944年7月21日午前0時15分に、国内予備軍司令官フロム陸軍上級大将の命令で、陸軍総司令部の中庭にて銃殺される。
Quirnheim, Mertz von
メルツ・フォン・クィルンハイム陸軍大佐
(国内予備軍参謀)
1944年7月21日午前0時15分に、国内予備軍司令官フロム陸軍上級大将の命令で、陸軍総司令部の中庭にて銃殺される。

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Olbricht, Friedrich
フリードリヒ・オルブリヒト陸軍歩兵科大将
(国内予備軍副司令官兼陸軍総司令部総務局長)
Leiter des Wehrersatzamts beim Oberkommando der Wehrmacht
1944年7月21日午前0時15分に、国内予備軍司令官フロム陸軍上級大将の命令で、陸軍総司令部の中庭にて銃殺される。

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Fellgiebel, Erich
エーリッヒ・フェルギーベル陸軍通信科大将
(陸軍総司令部通信連絡局長兼国防軍通信連絡局長)
Chef des Heeresnachrichtenwesens und zum Chef der Wehrmachtnachrichtenverbindungen im Oberkommando der Wehrmacht
1944年7月20日に逮捕され、1944年8月10日に人民法廷で裁判長ローラント・フライスラーに死刑を宣告される。1944年9月4日にベルリンのプレッツェンゼー刑務所で処刑された。

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Canaris, Wilhelm
ヴィルヘルム・カナリス海軍大将
(元・国防軍総司令部(OKW)対外情報、防諜(OKW情報)局長)
Chef des Abwehramts
1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に間接関与したため逮捕、民族裁判で死刑を宣告され、45年4月9日の敗戦間際に収監先のフロッセンビュルク強制収容所で絞首刑に処される。

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Oster, Hans
ハンス・オスター大佐
(国防軍総司令部(OKW)対外情報、防諜局参謀長(次長))
Leitung der Zentralabteilung im Amt Abwehr
ゲシュタポによって逮捕され、尋問された。1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件後に行われた民族裁判で死刑を宣告され、フロッセンブルク強制収容所に収容され、1945年4月9日処刑された。

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Hoeppner, Erich
エルンスト・ヘプナー元・陸軍上級大将
Oberbefehlshaber der 4. Panzerarmee
元・第4装甲軍司令官
独ソ戦で、独断撤退の責任を問われ、1942年1月7日に第4装甲軍司令官を解任され、1月8日には除隊命令、軍人としては屈辱的な軍服着用および勲章佩用を禁じられる。
1944年7月21日に逮捕され、1944年8月8日に人民法廷で裁判長ローラント・フライスラーに死刑を宣告され、ベルリンのプレッツェンゼー刑務所で処刑された。
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Falkenhausen, Alexander von
アレクサンドル・フォン・ファルケンハウゼン陸軍歩兵科大将
Militargouverneur von Belgien und Nordfrankreich
(ベルギー兼北フランス軍政長官)
1944年7月20日の暗殺未遂事件の2日前に解任された。カール・ゲルデラーやヴィッツレーベン元帥の親しい友人であったため、暗殺未遂事件後の7月29日にゲシュタポに逮捕され、ブーヘンヴァルト強制収容所やダッハウ強制収容所などを転々とした。1945年5月4日に連合軍によってダッハウ強制収容所で解放された。
1945年から48年まではイギリス、後にはアメリカに戦争犯罪人として拘禁され、1948年には戦争犯罪人としてベルギーに送られた。彼は1940年から1944年までに約25,000人のユダヤ人追放や人質処刑の罪で、1951年3月7日に12年の刑を言い渡された。しかし、たくさんのユダヤ人やベルギー人を追放や処刑からできるだけ救おうとしたという証拠を立証することができ、3週間で釈放された。
1966年7月31日にラインラント=プファルツ州ナッサウ・アン・デア・ラーンにて死去。

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Hassell, Christian Albrecht Ulrich von
クリスティアン・アルブレヒト・ウルリッヒ・ハッセル
(元駐伊大使)
元・駐伊大使(1933年〜1937年)。
7月20日、反乱の容疑でベルリンで逮捕される。8月8日、民族裁判でのわずか2日間の審議で絞首刑を宣告され、同日、ベルリンのプレッツェンゼー刑務所にて絞首刑に処される。
http://www.dhm.de/lemo/html/biografien/HassellUlrich/
Dohnanyi, Hans von
ハンス・フォン・ドーナニィ陸軍少佐
(国防軍総司令部(OKW)対外情報、防諜局の法律家でハンガリー系オーストリア人)
ディートリヒ・ボンヘッファーの義兄。1945年4月8日、収監先のザクセンハウゼン強制収容所でSSによる即決裁判の手続きで、処刑される。
Beck, Ludwig
ルードヴィヒ・ベック陸軍上級大将
(元・陸軍参謀総長)
Chef des Generalstabes des Heeres
陸軍内反ヒトラー派グループ「黒い礼拝堂」の中心人物の一人。
ヒトラー暗殺失敗を知り、1944年7月20日、陸軍総司令部内にて拳銃自殺。

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Goerdeler, Dr. Carl Friedrich
博士カール・フリードリヒ・ゲルデラー
(元・ライプツィヒ市長)
1944年7月17日に逮捕状が発行され、逃亡中、8月12日に宿屋の主人によって密告され逮捕された。彼は9月9日死刑が宣告されたが、他の共謀者を自白させようとしたゲシュタポによって何か月も拷問を受けた。彼は1945年2月2日に断頭によって処刑された。
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Stuelpnagel, Karl-Heinrich von
カール・ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲル陸軍歩兵科大将
(パリ軍政長官)
Militaerbefehlshaber im besetzten Frankreich
1944年7月20日のヒトラー暗殺事件と連動して発令された「ヴァルキューレ作戦」に連動して、パリ駐留のゲシュタポとSS(親衛隊)を拘束するが、シュタウフェンベルクからの電話でヒトラー暗殺が失敗であることが告げられる。
7月21日、ヴィルヘルム・カイテル陸軍元帥にベルリン出頭を命ぜられ、その途中のヴェルダン近郊で頭部銃創による自殺を試みたが、負傷し失明した。ヴェルダンの野戦病院に入院まもなくゲシュタポに逮捕され、身柄をベルリンに送られる。1944年8月30日、重傷にもかかわらず人民法廷で死刑を宣告され、同日にベルリンのプレッツェンゼー刑務所でピアノ線による絞首刑に処された。

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New!!
Finckh, Eberhard
エバーハルト・フィンクー陸軍大佐
(西部方面軍主計参謀長)
Oberquartiermeister beim Oberbefehlshaber West
彼はパリ軍政長官カール・ハインリヒ・フォン・シュトゥルプナーゲル歩兵科大将のグループに参加した。彼はシュトゥルプナーゲルや彼の副官ツェザール・フォン・フォーファッカーともに、西部での反ヒトラー反乱計画立案に関与するようになる。1944年7月20日、彼は「狼の巣」の総統大本営で暗殺が企てられたという前もって示し合わせた知らせを受け取り、上司の西部方面軍参謀長ギュンター・ブルメントリット歩兵大将にヒトラーの死を報告した。パリでは、ゲシュタポとSDを計画通り逮捕・武装解除することができた。しかし、ヒトラー生存を聞いたとき、共謀者はこの計画を中止せざるを得なくなる。フィンクーは2,3日後に逮捕され、1944年8月30日に民族裁判で死刑を言い渡され、同日ベルリンのプレッゼンゼー刑務所にて処刑された。

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Linstow, Hans Otfried von
ハンス・オトフリード・フォン・リンストウ陸軍参謀本部内勤大佐
(フランス軍政部参謀長)
Chef des Stabes beim Militarbefehlshaber in Frankreich
パリ軍政長官シュテュルプナーゲル陸軍歩兵科大将とともに、1944年7月20日のヒトラー暗殺事件と連動して発令された「ヴァルキューレ作戦」に連動して、パリ駐留のゲシュタポとSS(親衛隊)を拘束するが、シュタウフェンベルクからの電話でヒトラー暗殺が失敗であることが告げられる。
1944年7月23日パリで逮捕され、1944年8月30日に民族裁判で死刑を宣告され、即日、プレッツェンゼー刑務所で処刑される。
Moltke, Helmuth James Graf von
ヘルムート・イェムス・グラーフ・フォン・モルトケ
クライザウ・グループ(Kreisauer Kreis)の中心的人物。
大戦中は、国防軍最高司令部 (Oberkommandos der Wehrmacht (OKW))諜報局(Amt Ausland/Abwehr)に戦争及び国際法の専門家として勤務。この地位を利用して、捕虜逃亡の手助けなど反ナチス活動を行う。1944年1月18日にSSに逮捕される。
1945年1月11日死刑を宣告され、23日ベルリンのプレッツェンゼー刑務所にて絞首刑に処された。
ちなみに、大モルトケの甥の孫にあたる。
http://www.answers.com/topic/helmuth-james-graf-von-moltke
Tresckow, Henning von
ヘニング・フォン・トレスコウ陸軍少将
(東部戦線中部軍集団先任参謀)
Erster Generalstabsoffizier der Heeresgruppe Mitte
陸軍内反ヒトラー派グループ「黒い礼拝堂」の中心的人物の一人。
ヒトラー暗殺失敗を聞いて、1944年7月21日、東部戦線前線まで車を運転し、手榴弾自決。

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Schlabrendorff, Fabian von
ファビアン・フォン・シュラーブレンドルフ陸軍中尉
(ヘニング・フォン・トレスコウ副官)
Adjutant Tresckows
反ヒトラー派将校の一人。
1944年7月20日のヒトラー暗殺計画が失敗に終わった後、同年8月17日逮捕され、ベルリンのゲシュタポの監獄に拘束され、訊問と拷問を受けた。
1945年2月3日にシュラーブレンドルフは人民法廷で裁判の開始を待っていたが、法廷はアメリカ軍機の爆弾の直撃を受け裁判官ローラント・フライスラーが死亡。フライスラーはシュラーブレンドルフのファイルを抱えたままの姿で発見された。
この爆撃によって彼は命を取り留めることができ、1945年2月から5月までザクセンハウゼン、フロッセンブルク、ダッハウ、インスブルックといった強制収容所に収容され、敗戦後5月半ばにアメリカ軍によって解放された。戦後、彼は弁護士として働くようになり、1967年から1975年までドイツ連邦共和国の憲法裁判所の裁判官を務めた。1980年9月3日ヴィースバーデンにて死去。

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Tresckow, Gerd von
ゲルト・フォン・トレスコウ陸軍中佐
ヘニング・フォン・トレスコウの兄。1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件後の7月27日に、イタリアで逮捕され、8月にレーター・シュトラーセ刑務所に身柄を移され、9月6日の死までそこに拘束された。
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Bonhoeffer, Dietrich
ディートリヒ・ボンヘッファー
(牧師)
1945年4月にヒトラー暗殺計画の一員であったヴィルヘルム・フランツ・カナリス提督の日記からボンヘッファーの関与が発覚。わずか数日後の1945年4月8日にフロッセンビュルク強制収容所に収監され、同日スピード裁判で死刑を宣告され、翌日9日にフロッセンビュルク強制収容所で処刑された。
現在、ベルリン国立図書館の一階には、絞首台のロープが首にかけられたボンヘッファーを描いた大理石の胸像が展示されている。

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Bonhoeffer, Klaus
クラウス・ボンヘッファー
ディートリヒ・ボンヘッファーの兄。1944年7月20日のヒトラー暗殺グループに荷担。逮捕後、1945年4月23日、ベルリンにて銃殺される。
Schleicher, Ruediger
リューディガー・シュライヒャー
ディートリヒ・ボンヘッファーの義兄。1944年7月20日のヒトラー暗殺グループに荷担。1944年10月4日に逮捕された後、1945年2月2日の民族裁判で死刑を宣告され、1945年4月23日夜、ベルリンにて銃殺される。
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Helldorf, Wolf-Heinrich Graf von
ヴォルフ=ハインリヒ・グラーフ・フォン・ヘルドルフ
SA-Ogruf.
(ベルリン警視総監)
Polizeipräsident
暗殺未遂事件後の行われた民族裁判で死刑を宣告され、1944年8月15日処刑される。
http://de.wikipedia.org/wiki/Wolf-Heinrich_Graf_von_Helldorf
Hase, Paul von
パウル・フォン・ハーゼ陸軍中将
(首都防衛司令官)
Stadtkommandant von Berlin
反ヒトラー派に同調して、麾下の防衛大隊にベルリン官庁街の封鎖命令を発令する。暗殺未遂事件後に行われた民族裁判で1944年8月8日、死刑を宣告され、即日に絞首刑に処される。
http://de.wikipedia.org/wiki/Paul_von_Hase

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Witzleben, Erwin von
エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン陸軍元帥
(第3軍管区(ベルリン)司令官)
Kommandeur des Wehrkreises III (Berlin)
翌日の1944年7月21日に逮捕され、8月4日国防軍より元帥の階級を剥奪、8月8日民族裁判で死刑を宣告され、即日にベルリンのプレッツェンゼー刑務所でピアノ線による絞首刑に処される。

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Thuengen, Karl Freiherr von
男爵カール・フォン・チュンゲン大将
(第3軍管区司令官代理)
1944年10月5日に民族裁判にて死刑を宣告され、10月24日に処刑される。
Wagner, Eduard
エドワルト・ワーグナー陸軍砲兵大将
(陸軍主計総監)
Generalquartiermeister des Heeres
1941年から陸軍主計総監。彼は、戦況の悪化を懸念し、陸軍内の様々な反ヒトラー派によるヒトラー暗殺の企ての準備にいろいろな便宜を与えるようになる。1944年6月にソ連軍がドイツ領土に到達することを恐れ、戦争終結のためにシュタウフェンベルクにヒトラー暗殺をするようせき立てる。1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件においては、首謀者シュタウフェンベルクに東プロイセンからベルリン行きの飛行機を手配する。暗殺失敗後、ゲシュタポによって彼の暗殺計画における役割が発覚する。彼は、逮捕を逃れるため1944年7月23日昼に自殺する。
http://www.gdw-berlin.de/bio/ausgabe_mit-e.php?id=209
Lindemann, Fritz
フリッツ・リンデマン陸軍砲兵大将
(陸軍砲兵総監)
Stab der Artillerie beim Oberkommando des Heeres
戦争の進展に疑念を持ち、反ヒトラー派に関与するようになる。
1943年10月頃にはシュタウフェンベルクとトレスコウとの間に軍事的な抵抗組織のつながりを持つ。出張の機会を利用し反ヒトラー派と頻繁に会っていて、その中には大親友であったヘルムート・シュティーフが含まれていた。遅くても1944年頃までにはヒトラー暗殺計画の準備をしていて、ルードヴィヒ・ベックの依頼で、ヒトラー暗殺成功の時にはドイツ国民向けにラジオ放送で新政権の布告をすることになっていた。
1944年7月20日のヒトラー暗殺事件失敗後、当初は、ドレスデンの親戚の元に隠れ、まもなく迫害されたユダヤ人を助けていたグレーデン一家によって提供された隠れ家に潜んだ。彼の暗殺への関与が判明するに従って、彼は8月4日に国防軍を追放され、8月20日には彼には50万帝国ライヒの賞金をかけられた。彼は密告によって1944年9月3日に逮捕される。このときゲシュタポによって腹部及び下腿部に銃弾を受ける重傷を負い、1944年9月22日に、収容先のベルリン警察病院にて死去。
http://de.wikipedia.org/wiki/Fritz_Lindemann
http://www.dhm.de/lemo/html/biografien/LindemannFritz/index.html
 
Nebe, Arthur
アルトゥール・ネーベSS中将兼警察中将
(国家保安本部第5(刑事警察)局長)
Reichskriminaldirektor der Chef des Reichskriminalpolizeiamtes(Amt V des RSHA)
1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件では、共犯者である首都防衛司令官パウル・フォン・ハーゼ中将の下で、12人の警察部隊を組織してヒムラー暗殺する命令を受けていたが、実行されることはなかった。
事件に関与した疑いで、同日第5局長を罷免される。ネーベは6ヶ月間あまり逃亡したが、元愛人の裏切りにあって1945年2月逮捕される。3月2日に民族裁判所法廷で死刑を言い渡された。3月21日にピアノ線による絞首がなされた。

しかし、戦後の1956年イタリアのトリノと1960年アイルランドで目撃されたとの報告がある。

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New!!
Stieff, Hellmuth
ヘルムート・シュティーフ少将
(参謀本部編成課長)
 何度かヒトラー暗殺を試みるが不発に終わる。1944年7月20日の夜に東プロイセンのラステンブルク総統大本営「狼の巣」で逮捕され、ゲシュタポによる尋問で自白を引き出すために激しい拷問を受ける。1944年8月8日、民族裁判で死刑を宣告され、同日、ベルリンのプレツェンゼー刑務所にて刑を執行される。

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Schacht, Horace Greely Hjalmar
ヒャルマー・シャハト
(元・経済大臣)
 第二次世界大戦中、彼は反ヒトラー派のハンス・ドーナニィやエルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン元帥と接触し、ヒトラーに対する反乱計画に関与していく。そして1944年7月20日にヒトラー暗殺未遂事件が発生すると、連座していたとして7月23日に逮捕され、ラーベンスブリュックやフロッセンブルク、最終的にはダッハウ強制収容所に収容され、1945年4月に連合国によって解放されるまで“特殊囚人”として軟禁されていた。
 解放後は、一転ナチス独裁政権の強化に貢献した疑いと人道に対する罪で戦争犯罪人として起訴。ニュルンベルク裁判で裁かれたが、無罪判決を受けて釈放された。その後の非ナチ化裁判では労働奉仕8年の刑を受けたものの、1948年9月2日に釈放された。
 釈放後はデュッセルドルフ銀行でインドネシアやエジプトなど発展途上国の経済・財政に関するアドバイザーとして活動した。1970年、自宅での転倒事故が原因の塞栓症で死去した。

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ハンス・ベルント・ギゼフィウス 調査中
 
オットー・ヨーン 調査中

 
・関与を疑われたもの
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Fromm, Friedrich
フリードリヒ・フロム陸軍上級大将
(国内予備軍司令官)
Chef der Heeresruestung und Befehlshaber des Ersatzheeres
1944年7月21日、国内予備軍司令官職を解任され、民族裁判で国家反逆罪で死刑を宣告され、1945年3月12日にブランデンブルク刑務所で処刑された。

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Halder, Franz
フランツ・ハルダー陸軍上級大将
(元・陸軍参謀総長)
Chef des Generalstabes des Heers
ヒトラー暗殺未遂事件に間接関与したとの嫌疑で逮捕され、フロッセンブルク強制収容所、後に終戦までダッハウ強制収容所に収監されたが、ドイツ敗戦によって辛くも釈放。1971年に天寿を全うした。

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Kluge, Günther-Hans von
ギュンター−ハンス・フォン・クルーゲ陸軍元帥
(西部軍総司令官)
Oberbefehlshaber West
ヒトラー暗殺計画に理解を示し半ば参画していた。ヒトラーのベルリンへの召還途中の1944年8月19日服毒自殺死。

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Rommel, Erwin Johannes Eugen
エルヴィン・ヨハンネス・オイゲン・ロンメル陸軍元帥
(元・西部戦線B軍集団司令官)
彼のB軍集団司令官の時の参謀長シュパイデルが反ヒトラー派であったため暗殺首謀者の一味と見なされてしまう。しかし国家的英雄であるロンメルを処刑するわけにも行かなかったため、ヒトラーは毒殺を強要し、ロンメルはそれを受け入れ、1944年10月14日に療養先の自宅で毒をあおった。その死後、ノルマンディー戦で受けた傷がもとでの戦死と公式発表され、国葬が執り行われた。

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・体制側
Hitler, Adolf
アドルフ・ヒトラー
(総統)
Führer
1945年4月30日にベルリンの総統地下壕にて拳銃自決したとされる。

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Schmundt, Rudolf
ルドルフ・シュムント陸軍歩兵科大将
(総統附国防軍筆頭副官兼陸軍人事局長兼陸軍最高司令官副官)
Chefadjutant der Wehrmacht bei Hitler und Chef des Heerespersonalamtes und Adjutant des Oberbefehlshaber des Heeres
事件で重傷を負い、その約2ヵ月後の10月1日に入院先のラステンブルクの病院にて死去した。9月1日付けで陸軍歩兵科大将に昇進。
Remer, Otto Ernst Fritz Adolf
オットー・エルンスト・レーマー陸軍少佐
(警護大隊「グロスドィッチェラント」大隊長)
Kommandeur des Wachbataillons „Großdeutschland“
ヒトラー暗殺未遂事件時に、ヒトラーにより少佐から大佐に異例の昇進を受け、同時に反乱鎮圧の全権が与えられる。事件後、「グロスドィッチェラント」師団の擲弾兵連隊に復帰する予定であったが、新編成の総統護衛旅団の旅団長に任命された。中隊、大隊規模の指揮では有能であったが、それ以上の規模の連隊、旅団の指揮官としては正式な訓練を受けたことがなかったため、目立った働きをすることができなかった。終戦時には少将まで昇進していた。
1997年10月4日死去。
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Freisler, Roland
ローランド・フライスラー
(民族裁判所長官)
Präsidenten des Volksgerichtshofs.
悪名高い民族裁判所長官。ヒトラー暗殺未遂事件の容疑者として逮捕された人々は、ここで形式的かつ見せしめ的な裁判を行われ、十分な審理をされないまま次々と処刑または投獄された。
1945年2月3日、民族裁判法廷開廷中にアメリカ軍機の爆弾の直撃を受け死亡。フライスラーはこの日審議を予定していた被告人ファビアン・フォン・シュラーブレンドルフ(ヒトラー暗殺計画の中心人物であったヘニング・フォン・トレスコウ陸軍中将の副官)のファイルを抱えたままの姿で発見された。

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・その他
Elser, Johann Georg
ヨハン・ゲオルグ・エルザー
(民間人)
1939年11月8日にミュンヘンのビアホール、ビュルガーブロイケラーで行われたミュンヘン一揆記念日の演説に合わせて爆弾を仕掛けた暗殺犯。直後に逮捕されたが、ヒトラーは「エルザーを生かしておけば自分は決して死なない」の予言を信じたせいか、またドイツ戦勝後にナチスドイツの基盤を盤石にするために見せしめの処刑するために「特別囚人」として格別の待遇を受け生かされ続けたが、終戦直前の1945年4月9日にヒムラーの命令で収容先のダッハウ強制収容所にて秘密裏に射殺された。

(参考サイト)
http://www.dhm.de/lemo/html/biografien/DohnanyiHans/index.html
http://www.dhm.de/lemo/html/wk2/widerstand/
http://www.swr.de/stauffenberg/index_sat_main.html
http://home19.inet.tele.dk/antinazist/resistanceE.htm

トップ特別展示室>1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件関係資料・関係者のその後