ドイツ第12軍について

(20060701作成)
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 ドイツ第12軍、というよりヴェンク軍と言えば、ナチスドイツ最期の戦いであるベルリン攻防戦で有名になりますが、この軍はどのようにして生まれ、ベルリン救援断念後どのような運命になるかは知られていません。そこで、簡単にまとめてみました。

●概要
 ドイツ軍最後の正式編成軍(1945年4月8日編成)。元々、西部戦線用に編成された部隊であるが、ソ連軍に包囲されたベルリン救出を命ぜられる。ヴェンクはベルリンのすぐ西に位置するポツダムの南西のシュヴィーロ湖畔(30km地点)まで達し、包囲されていた友軍と合流したがそこまでが限界だった。ベルリン救援断念後、ヴェンクの第12軍は、ベルリン南東で包囲されていたテオドール・ブッセ率いる第9軍との連絡線を確保すべくトロイエンブリーツェン(Treuenbrietzen)=ビーリッツ(ベーリッツ Beelitz)の線まで赤軍を押し返し、第9軍将兵を始め避難民の救出を行う。その後、西方へ移動して5月7日にアメリカ軍に降伏する。

●編成データ
 第12軍(1945年4月8日編成)
 司令官 ヴァルター・ヴェンク陸軍装甲兵大将

所属
1945年4月8日〜1945年4月19日 西方総司令部 OB West
1945年4月20日〜1945年4月27日 国防軍最高司令部直属 OKW
1945年4月28日〜1945年5月8日 「ヴァイクセル」軍集団 Heeresgruppe "Weichsel"


編成リスト Aufstellung
第一次編成時(4月12日)第四次編成時(4月30日)
簡単な説明
・軍司令部 Armee-Oberkommando (AOK)
第20軍団 XX. Armeekorps
Koehler騎兵大将
第3RAD「テオドール・ケルナー」歩兵師団
3st RAD Infantariedivision Theodor Koerner
第183歩兵師団(東部戦線)(=第215国民擲弾兵師団)の残余と7,500人のRADから1945年4月に編成。ただし、RADからの動員が計画とおりなされたかは不明。
「ウルリッヒ・フォン・フッテン」歩兵師団
Infantariedivision Ulrich von Hutten
第IV軍管区の兵学校・予備役及び第18国民擲弾兵師団の残余から1945年4月に編成
「フェルディナント・フォン・シル」歩兵師団
Infantariedivision Ferdinand von Schill
4月25日編成〜Berg突撃砲学校の職員・生徒から編成。(当初Berg戦闘団として組成開始)
「シャルンホルスト」歩兵師団
Infantariedivision Scharnhorst
第167国民擲弾兵師団(西部戦線 G軍集団予備)及び第340国民擲弾兵師団(西部戦線 B軍集団予備)の残余から1945年4月1日に編成開始
×
第39装甲軍団 XXXXI. Panzerkorps
第84歩兵師団
84. Infantariedivision

第309歩兵師団「グロス・ベルリン」
309. Infantariedivision "Gros-Berlin"

「メヤー」師団
Division "Meyer"

第41装甲軍団 XXXXI. Panzerkorps
Wietersheim 装甲兵大将
「フォン・ハーケ」歩兵師団
Infantariedivision von Hake

第1「ヒトラー・ユーゲント」戦車破壊旅団
1. Panzervernichtungsbrigade Hitlerjugend
×
「ヘルマンゲーリング」戦車猟兵旅団
PanzerJgd.Brig."Hermann Goring"

第115装甲偵察大隊
PanzerAufkl.Abt.115
×
×"V-Waffen"特別任務師団
第48装甲軍団 XXXXVIII. Panzerkorps
Edelsheim装甲兵大将
第14高射砲師団
14.Flakdivision
×

「ライプツィヒ」戦闘団
Ka.Gru."Leipzig"

「ハレ」戦闘団
Ka.Gru."Halle"

「トルガウ」戦闘団
Ka.Gru."Torgau"

「リーザ」戦闘団
Ka.Gru."Riesa"

第144軍団砲兵大隊
Arko 144

「シルダウ」大隊
Btl."Schildau"

「ヘルマン」戦闘団
Ka.Gru.Hermann

「シェラー」戦闘団
Ka.Gru.Scherer

×
「レーゲナー」師団
Division "Raegener"

「ザクセン」師団
Division "Sachsen"

×
Reymann軍団
Korps Reymann

第2RAD「フリードリヒ・ルードヴィヒ・ヤーン」歩兵師団
2nd RAD Infantariedivision Friedrich Ludwig Jahn
第183歩兵師団(東部戦線)(=第215国民擲弾兵師団)の残余と7,500人のRAD(帝国労働奉仕団)から1945年4月に編成。ただし、RADからの動員が計画とおりなされたかは不明。
第20装甲擲弾兵師団
20.PzGrD

軍予備
der Armee direkt unterstellt
×
第349国民擲弾兵師団
349.FAD

×
第199歩兵師団
199.Infantariedivision



●実態兵力について
 第12軍の実態兵力については、末期的混乱状況から正直把握が難しいが、ヴェンク自身が終戦時に、自部隊の兵員数を8〜10万として把握していたことと、実際にタンガーミュンデで、米軍の捕虜概算見積もりが10万であったことからこの数程度が妥当と思われる。しかし、中には各地から収容した部隊、特に第9軍将兵も含まれるため、厳密に第12軍の兵力とは言い難い。
 一個師団あたりの兵力については、この時の歩兵大隊の充足率が60%を超えることはなかったことから、一個歩兵師団(1945年型編成で12,000)あたり5,000〜6,000名程度であることが予想される(これでもまだ良い見解)。
 また、兵の質については、各所から根こそぎでかき集めたため、ベテラン兵、士官学校教官もいれば、徴兵間もない新兵、それも第一次世界大戦でご奉公したことのある老兵から、少年兵、はては軽傷の傷病兵と雑多であり、その戦力は未知数、悪く言えば、実際使ってみなければわからない状態であった。しかし、「窮鼠猫をかむ」の表現のように狂気的ともいえる働きを示した部隊もあった。

(参考サイト)
http://www008.upp.so-net.ne.jp/uchiyama/title.html
http://de.wikipedia.org/wiki/Armee_Wenck
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E5%91%BC%E7%A7%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7
http://www.diedeutschewehrmacht.de/12%20armee%20(III).htm

(参考文献)
Werner Haupt "Die deutsche Infanterie-Divisionen" (Doerfeler, Eggolsheim, 1991)
Andris J.Kursietis "The Wehrmacht at War" (Aspekt, Soesterberg, 1999)
Thomas L. Jentz "Die deutsche Panzertruppe" Band2 (Podzun-Pallas,Woelfersheim-Berstadt, 1999)
George F. Nafziger "The German Order of Battle-Infantry in World War II" (Greenhill,London,2000)

※このページの記述にあたっては、Hawkeye様からの多大な御協力がありました。この場をお借りして御礼申し上げます。

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