◆第5 日本の三八式歩兵銃は本当に旧式兵器だったのか?
(2007.11.27一部修正)
よく日本の三八式歩兵銃は、旧式銃とのレッテルを貼られているようですが、本当にそうでしょうか。というわけで、今回は当時の主要列強国の歩兵銃を調べてみました。
結論から言えば、採用年の古さからだけで言えば、三八式歩兵銃が1905年採用に比べ、イタリアのカルカノM1891歩兵銃は1891年採用、イギリスのマガジン・リー・エンフィールドMk1(MLE) は1889年採用と言う具合にそんなに古いというわけではないです。
日本
三八式歩兵銃
→こちらを参照
九九式小銃
採用:1939年
(データは九九式短小銃)
全長:1,120mm
重量:2570g
装弾数:5発
口径:7.7mm
有効射程
発射速度
使用弾薬:7.7ミリ九九式用普通弾(実包)
車両、飛行機の発達によって威力不足と指摘された三八式の6.5o口径をパワーアップして7.7o口径にしたもので、30口径(7.62o)の米英軍(30-06,303)を意識したものと言われる。初期の九九式は三八式と同じ長さ(長小銃と呼ばれる)でしたが、まもなく南方のジャングル戦を想定した長さを短くしたもの(短小銃と呼ばれる)に生産が移行されました。ちなみに、この短小銃はスプリングフィールドやエンフィールドと同じ長さです。この九九式短小銃は製造が開始されたのが、太平洋戦争が開始された昭和16(1941)年であった為に初期には三八式歩兵銃と併用するという異常事態が生じていた。九九式小銃シリーズは昭和14(1939)年から昭和20(1945)年にかけて小倉、名古屋、仁川の兵工廠の他にいくつかの民間会社で約236万挺製造されました。戦争初期に生産された九九式短小銃は、世界の軍用銃のなかで最も手の込んだつくりの美しい作品と言えます。しかし、戦争末期には資材不足から粗悪な物が多く、本銃を最初に本国へ持ち帰り評価をした進駐軍が、かなり粗悪な大戦末期に製造された「戦時量産型」の本銃を評価したために「粗悪銃」のレッテルが貼られてしまった(戦利品として持ち帰った米兵が試し打ちしたところ、暴発して大怪我した話は有名)が、戦後は自衛隊の前身である警察予備隊によって一部使用された逸話が残る等、必ずしも短命であったとは言い切れない。
ドイツ
モーゼルKar 98 k小銃
英名 Mauser Karabiner 98k
正式採用年 1935年
種類 ボルト・アクション式
全長 1,110mm
口径 7,92mm×57
装弾数 5発
ドイツ再軍備宣言とともに誕生。1898年採用のモーゼルKar98の改良版で、第二次世界大戦のドイツ軍主力兵器。(karとはKarabiner=「騎兵銃」あるいは「短小銃」の略号。kはドイツ語ではKurz=短いを意味する)。Kar 98kは戦後も世界各地の紛争地域で使用され、現在でもドイツ国境警備隊や東欧の警察機関、アフリカ地域でも数多く使用されている。
イタリア
カルカノM1891歩兵銃
英名 Carcano M1891 Infantry Rifle
正式採用年 1891年
種類 ボルト・アクション式
全長 1,290mm
口径 6,5mm×52
装弾数 6発
イタリア初の無煙火薬用小銃。1891年の制式以降何度も改良されながら第二次世界大戦終結まで使用された。 クリップごと装弾するマンリッカー式弾倉を持つ。機関部はモーゼルを参考にしている
カルカノM1938短小銃
英名 Carcano M1938 Short Rifle
正式採用年 1938年
種類 ボルト・アクション
全長 1,020mm
口径 7,35mm×51
装弾数 6発
M1891小銃の改良型で第二次大戦時の主力小銃です。列強小銃の大口径化と歩兵銃と騎兵銃の共用化に遅れをとったイタリア軍は、口径を7,35mmに変更し、全長も短縮しました。
カルカノM91/38
英名
種類 ボルト・アクション
正式採用年
全長
口径 6.5mm
総弾数 6発
1938年に他国にあわせ7.35mmに口径を大きくした1938モデルであったが 第二次世界大戦が始まり混乱を避けるため口径を以前の6.5mmに戻した物がM91/38モデル。この銃に日本製スコープを付けた物が1963年ダラスでの ケネディ大統領暗殺に使用されたとされる。
ロシア
モシンナガンM1891/30歩兵銃
英名 Mosin Nagant M1891/30 Rifle
種類 ボルト・アクション
正式採用年 1891年
全長 1,232mm
口径 7,62mmx54R
装弾数 5発
M1891/30は、M1891ライフルの改良型(全長を短くした)で第二次世界大戦のロシア軍主力小銃。機関部設計者のモシン氏、弾倉設計のナガン氏の名が付いている。第二次世界大戦終了まで使用された。その後も狙撃銃として1963年ドラグノフと入れ替わるまで80年ほども使用された名銃。7.62x54R弾はリムド・ケースながらドラグノフ自動式狙撃銃の弾薬として現役である。
イギリス
1889年採用
マガジン・リー・エンフィールド Mk1(MLE) イギリス
(データはMK4)
製造年:1926年
質量: 4114 g
有効射程: 550 yds
口径: 0.30in(7.62 mm)
挿弾子/弾倉の弾丸数: 10
発射速度(RPM):−
最大速度:2400 ft/s(732 m/s)
兵器タイプ:ライフル
アメリカ、カナダで活躍したスコットランド生まれのアメリカ人、ジェームス・パリス・リー氏設計。
一般にはリー・メトフォードMk1という。メトフォード・ライフリング銃身を装備。 無煙火薬弾使用の8連マガジン式でMagazine Lee-Enfield(MLE)と呼ばれる。 イギリス軍は1889年から英国陸軍が自動小銃を制式銃とする1948年まで60年間イギリス歩兵の主要武器であり続けた。生産された数は延べ800万丁を越える。NATOはこのライフルの小口径版を狙撃銃として現在も採用している。
1907年採用
ショート・マガジン・リー・エンフィールド(SMLE)No.1Mk3イギリス
(正式名称 Rifle No.1 Mk3 SMLE .303)
全長 1130mm
銃身長 640mm
重量 3.99kg
使用弾薬 7.7mm×56R
(.303ブリディッシュ)
装弾数 10発
初速 745m/s
ショート・マガジン・リー・エンフィールド(SMLE)と呼ばれるMLE のカービンタイプ。 メトフォード・ライフリングは腐食の関係ですぐに普通の溝型になった。 SMLE は、もっとも多く生産され、第二次世界大戦終結まで1931年採用のNo.4ライフルと共に使われた。
フランス
Mle1936ライフル
全長 1020mm
銃身長 575mm
重量 3.75kg
使用弾薬 7.5mm×54
装弾数 5発
初速 823m/s
世界の大国の中で一番最後に制式採用されたボルトアクションライフルだった。同じ年(1936年)に、アメリカでM1ガーランドライフルという自動ライフルが採用された事もあり「時代錯誤」とけなす向きもあるが、第二次世界大戦で第一線の兵士全てに自動ライフルを装備させた国はアメリカしかなかったからその主張は正しくないと言える。
ちなみに、当時のフランス陸軍にはベルチェーM1907-15ライフルが大量にあった(第一次世界大戦で量産しまくったから)ので、第二次世界大戦時でも使用されたようだ。
アメリカ
スプリングフィールドM1903
英名 Springfield US Model 1903 Rifle
正式採用年 1903年
種類 ボルト・アクション
全長 1,097mm
口径 .30-06in
装弾数 5発
スペインとの米西戦争でモーゼルM1893小銃の優位性を感じたアメリカは、さっそく モーゼルM1898小銃を参考に新型銃にとりかかり1903年制式化された。
本銃は第一次世界大戦から第二次世界大戦には狙撃銃として使用され、1906年採用の.30-06弾薬は 以後50年余り使われた。映画「プライベートライアン」での狙撃銃として有名。
M1ガーランド ライフル
英名 Caliber .30 US M1 Rifle
正式採用年 1936年
種類 自動小銃
全長 1,103mm
口径 .30-06in.
装弾数 8発
アメリカ合衆国スプリングフィールド社が開発した米軍初の自動連発式ライフル銃。M1ガーランドという名称は、設計者ガーランド氏から取ったもので、いわゆる「愛称」であり、正式な名称は「USライフル・キャリバー.30.M(MODEL)1」という。ガス、ピストン式の機構は安定しており戦場では絶大の信頼を与えた。 朝鮮戦争まで使用された。
M1カービン アメリカ
英名 Caliber .30 US M1 Carbine, Late Production
正式採用年 1941年
種類 短機関銃
全長 905mm
口径 .30in
装弾数 15〜30発
テレビドラマ「コンバット」でヘンリー少尉の愛銃がこのM1カービンでした。弾薬、銃器ともウインチェスター社製。Williams氏によるショートストローク・ピストン式軽量銃。
M1ガーランドが重すぎたため、M1ガーランドを軽量化して、携行性を向上させて、将校用、非戦闘員用として開発されたのがM1カービンでした。フルオート機能付きのM2、夜間攻撃用アタッチメントの付いたM3がある。朝鮮戦争まで使用された。
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