◆第15 「ヒトラー=ユダヤ人」説の実態
(2009.04.18作成)


 ヒトラーにユダヤ人の血が混じっていたとの説がある。簡単に言えば、ヒトラーの父アロイスが私生児であり、ユダヤ人との間に生まれた子であったという。日本では、手塚治虫氏の作品『アドルフに告ぐ』(講談社)で、ヒトラーが実はユダヤ人だったということを題材にしていることで知られている。

 この噂は1930年、ナチ党が一挙にドイツ第2の大政党に躍進したときに、一部マスコミが彼を攻撃したために広まり始めたものであった。ヒトラー自身もこの疑惑を抱き、その年の末、ナチ党法律局長のハンス・フランクに、自分の血統を念のために極秘に調べてくれと頼んだという。すると、彼の父親が私生児であったとの事実が判明したそうだ。

 このハンス・フランクは、後にドイツ軍占領下のポーランド総督となり、ニュルンベルク国際軍事裁判で絞首刑に処せられたヒトラーの側近である。彼は死刑を待つ間に、『死に直面して』という本を著わしたが、その中で「ヒトラー=ユダヤ人」説に関して次のように書いている。

「たぶん1930年末のある日だったと思うが、自分はヒトラーのもとに呼ばれた。ヒトラーは、彼の異母兄である若アロイスの息子ウィリアム・パトリック・ヒトラーからの手紙や新聞記事に触れつつ、『自分にはユダヤ人の血筋があるという者がいるが、調べてくれ』と依頼した。 ……調べてみるとアドルフ・ヒトラーの父アロイス・ヒトラーは私生児であって、その母マリア・アンナ・シックルグルーバーは、グラーツ(ウィーン南方)でユダヤ人の疑いがあるフランケンベルガー家に家政婦として雇われていた。そしてそこで赤児を生んだ。フランケンベルガーは当時19歳であった自分の息子のために、アロイスが14歳になるまで、マリア・アンナに養育料を支払っていた。フランケンベルガーとマリア・アンナの間には長年にわたる手紙の交換があったが、その手紙ではアロイスが養育料をもらう権利がある、ということが前提となっていた。私生児は母の姓を名乗るという法律に従って、アロイスは40歳のころまでシックルグルーバー姓を名乗っていた。」

 このハンス・フランクの陳述は以後、多くの著書や論文のなかで紹介されている。またこの時期のヒトラー研究家イエツインガーも、ユダヤ人祖父説を支持していた。

 「世界最大の反ユダヤ主義者であるヒトラーが、じつはユダヤ人の血をもっているかもしれないという疑いを持ったとき、ヒトラーの反ユダヤ主義は狂気そのものとなった」とか、「ナチスの反ユダヤ主義政策が常軌を逸してしまった原因は、まさにこのゆえであった」という説がまことしやかに主張されている。

 ここで、ヒトラーの両親について簡単に説明する。  父アロイスは学歴が無かったが勉学に励み出世を重ね、1875年からオーストリア・ハンガリー帝国の税関吏を務め、最終的には上級事務官まで出世し、引退後は十分な恩給を得ており、家計は豊かだった。下層階級の出身から身を起こし立身出世を遂げた努力家であったことになる。1876年、アロイスは育ての親ネポムク・ヒュトラーに一族の子として認知されたのを機に、シックルグルーバー姓をヒトラー姓に変える。

 母クララは1860年8月生まれ。1885年、アロイスの三番目の妻となった。夫より24歳も若く読書好きな知的な女性であった。クララはアドルフを含めて6人の子を産んでいるがアドルフ、妹パウラ(Paula、1960年死去)の2人だけが成年に達した。

 しかし、このユダヤ人説については1960 年代後半から 1970 年代始めにかけて疑問の声が投げかけられることになる。

1.西ドイツのヒトラー研究者ヴェルナー・マーザーが綿密な史料分析の結果として、アロイスの父親は彼の妻となるクララの祖父で、アロイスの育ての親であるネポムク・ヒュトラーであることを推定した。すなわちアドルフは近親婚により出生したというわけである。あわせてユダヤ人祖父説についてはこれを否定している。

2.グラーツ大学教授プレラドヴィクの戦後の研究によると、グラーツに1956年以前にユダヤ人が居住していたという記録はなく、ヒトラーの祖父がユダヤ人だった可能性はないとされた。

3.1970年にアントン・アダルベルト・クラインという研究家がグラーツ市歴史年報所収の論文にて、ハンス・フランクの陳述を徹底検証したところ、ヒトラーの祖父とされているフランケンベルガーなる人物は、その人物の住所とされているグラーツ市の住民リストには載っていないことが判明した。またグラーツ市自体、1848年までユダヤ人が居住することを禁止されていた土地だということも判明した。一方、アドルフの甥パトリックによればフランケンライターという人物がアロイスの父親とされ、確かにこの人物はグラーツに家庭を構えているが、バイエルン系のドイツ人で、旧教徒である。さらにこの時期、彼は家業を破産させ、マリアと愛人関係を保てるような状況ではなかった。また彼の子供は当時 10 歳で、これも父親となるのは不可能であったろう。そしてそもそも、マリアがグラーツに来ていたという証拠そのものが存在しない。


 西ドイツのヒトラー研究では、その後もヨアヒム・フェスト、セバスチャン・ハフナーなど大家がこの出自問題について、その後大きな修正を行っていない。

 このように、ヒトラーの側近ハンス・フランクによって広められたユダヤ人説は、かなり信憑性に欠けるものであることがわかる。

 しかし、ヒトラーの父が私生児であることには変わりなく、ヒトラーの真の祖父をめぐって様々な謎が残されていることも事実である。(ヒトラーの父はロスチャイルド家の私生児だったという珍説まである。)

参考サイト
http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hc/a6fhc616.html

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