◆第12 「根こそぎ動員」の実態
(2008.5.18作成)

 日本の敗戦が濃厚となった太平洋戦争末期に「根こそぎ動員」と呼ばれる総動員態勢がしかれましたが、その実態はどうであったか調べてみました。



 1944(昭和19)年10月18日には「兵役法施行規則」と10月19日には「陸軍防衛召集規則」が改正された。「兵役法施行規則」は徴兵年齢を満17歳に引き下げる、「陸軍防衛召集規則」では、防衛召集の対象を17歳から45歳までの第二国民兵のすべてに適用することとした。

 1945(昭和20)年1月20日、大本営では「帝国陸海軍作戦計画大綱」による本土決戦構想が決定した。2月以降8月までに50個師団を新編成して動員し、敵上陸が予想される太平洋岸に展開させる。銃も手榴弾も不足した歩兵であるが、火焔瓶で一時敵の進撃を停滞させることが出来れば、その間に温存した特攻機が敵艦船に突入する。上陸作戦を頓挫させたところで、有利な条件で和平交渉に入ろうという夢のような計画であった。1945(昭和20)年1月21日(3月6日?)、「国民勤労動員令」が下り、国民の根こそぎ動員がはじまる。
(大岡昇平著「レイテ戦記」参考)


・第一次兵備 140番~160番ナンバー師団=沿岸張り付け部隊
 1945(昭和20)年2月28日に沿岸配備師団16個(他に樺太と南千島に各1個師団)を動員する第一次兵備が発令され、総人員32万、馬匹6万が動員された。主力は4月、一部は5月編成予定。砲力の不足を補うために歩兵連隊は4個編成で、3個連隊が沿岸で敵を釘付けし、残りの1個連隊が機動力を活かして反撃するという目論見だった。

・第二次兵備 200~210番ナンバー師団=本土決戦の機動師団
 1945(昭和20)年4月2日には第二次兵備8個師団の臨時動員が発令され、満州などの部隊の内地転用命令も出された。砲兵・工兵・独立戦車旅団・連隊の臨時動員もかけられた。6~7月編成予定。兵員も現役が多く、装備ともに良好の精鋭揃いだった。

・第三次兵備 220番~230番ナンバー師団=本土決戦の「根こそぎ」動員
 1945(昭和20)年5月23日、大本営は本土決戦に備え、第三次兵備として、機動打撃師団8個師団、沿岸配備師団11個師団の計19個師団(そのうち1個は朝鮮)および混成旅団15個(そのうち1個は朝鮮)を新設、8月編成予定とした。所属歩兵連隊は三個連隊で、いわゆる「根こそぎ動員」でかき集めた兵員からなっており、第一次兵備の沿岸配備師団と較べても、兵数・火力とも劣っていた。例えば昭和21年に予定されていたアメリカの関東上陸作戦「コロネット」に対抗すべき第12方面軍第三次兵備部隊の小銃充足率は40%、銃剣30%、弾薬5%、火砲の弾薬0%だったという。

 この時点で野戦53個師団と多数の独立旅団が本土決戦用に準備できた。その人員は軍人・軍属合わせて陸軍225万人、海軍130万人に達した。

 さらに「国民義勇隊法」が1945(昭和20)年6月23日に公布・施行され、国民義勇隊員が戦闘に際しては国民義勇戦闘隊員となることが定められた。国民義勇隊の結成により従来の産業報国会・翼賛壮年団・大日本婦人会・大日本青少年団などの統制組織はすべて解散され、国民義勇隊に一本化され本土決戦に備えた。これにより16歳以上60歳までの男性、17歳以上40歳までの女性は「義勇召集」によって国民義勇戦闘隊に編入され、「義勇兵」として戦闘に参加することになっていた。当時の日本人の平均寿命が約50歳であったので、棺桶に片足をつっこんでいる老人まで動員する、まさしく「根こそぎ動員」であった。

 陸海軍現役軍人の数は、日中戦争開戦の昭和12年に100万人を超え、太平洋戦争開戦の昭和16年には241万人、17年には283万人、18年には381万人、19年には537万人と増加し、昭和20年には719万人に達した。当時、国内で必要最小限の生産力を確保するための兵力動員の限界は、男子人口の10%と考えられていたが、終戦時には20%を超えていた。
この結果、大量の熟練労働者を徴兵によって失ったため、青少年や女性などの非熟練労働者を大量動員し穴埋めを図ったにもかかわらず、生産力は減少の一途をたどり、日本経済の破綻を招いた。

関 連 年 表
年月日 内  容 備  考
●昭和17年
10月1日 「陸軍防衛召集規則」施行 召集に新たに「防衛召集」が新設された。空襲などの際に国土防衛のため、予備役・補充兵役・国民兵役(在郷軍人と呼ぶ)を短期間召集することであり、いわゆる「青紙」で召集された。
●昭和18年
3月2日 徴兵令改正公布により朝鮮に徴兵制実施される(開始は8月1日より)。  
6月25日 政府「学徒戦時動員体制確立要綱」閣議決定 学生が、「学業=勤労」という実質的な戦時下勤労動員の一翼に組み込まれる。
9月23日 台湾に徴兵制実施を決定。  
11月1日 「兵役法」改正 国民兵役を45歳まで延長
12月1日 第一回学徒兵入隊(学徒出陣)  
12月24日 「徴兵適齢臨時特例」 徴兵年齢を1年繰り下げ(満19歳より)。
●昭和19年
3月29日 「中学生の勤労動員大綱」決定  
8月23日 「学徒勤労令」公布・施行  
8月23日 「女子挺身勤労令」公布・施行 14才から40才までの女性を工場などに動員
10月18日 「兵役法施行規則」改正 徴兵年齢を満17歳に繰り下げ。
10月19日 「陸軍防衛召集規則」改正。 防衛召集の対象を17歳から45歳までの第二国民兵のすべてに適用
●昭和20年
1月20日 「船員動員令」 船員徴用の強化、徴用範囲の拡大、その他船員の充足等を円滑にすることを目的とした法令。
3月6日 「国民勤労動員令」が公布 12歳以下60歳以上の男子、40歳以上の女子、極度の心身障害者を除いて日本国民全ては最低1年に60日以内労働させられる事になった。
3月14日 文部省、「決戦教育措置」発表 4月1日より国民学校初等科を除き1年間授業停止。学徒は軍需生産、食糧増産、防空防衛などに動員された(7月には約340万人に達し、このうち、空襲その他による死亡者(原爆死亡者を含む)は約11,000人に達したといわれる)
4月13日 政府、「国民義勇隊」結成を決定  
5月22日 文部省、「戦時教育令」を公布  
5月24日 「戦時要員緊急用務令」  
6月22日 「戦時緊急措置法」 防衛強化・軍需生産増強・秩序維持などを定める。
6月22日 政府「義勇兵役法」を公布施行 男子15歳~60歳、女子17歳~40歳の兵役動員法。
6月23日 「国民義勇隊法」成立 大政翼賛会、大日本翼賛壮年団、大日本婦人会などを国民義勇隊に吸収・統合した。対象年齢は、国民学校初等科修了から男子65歳以下、女子45歳以下とされたほか、それ以外の者も志願することができた。任務としては、
(1)防空、食糧増産、空襲被害の復旧、工場の疎開工事
(2)陸海軍の陣地構築などの補助
(3)消防などの補助に出動

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