ハンガリー
〜第一次世界大戦の敗戦によって領土を失った屈辱をはらすためナチスドイツに接近した国家〜


 ヨーロッパ列強の一つであったオーストリア=ハンガリー二重帝国が第一次世界大戦敗戦によって崩壊し、帝国を構成していたハンガリーは単独国家として成立した。しかし戦後、敗戦国として厳しく処罰されることになり、多数の領土を喪失した。さらにその後、旧帝国領から誕生した新生国家であるチェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア、戦勝国ルーマニアが三国小協商を結んで、ハンガリーに対抗したため、身動きがとれない状態となった。
 同じ敗戦国であるドイツでナチスドイツが台頭するに従って、摂政ホルティ提督(注1)のもとでハンガリーは急速に接近し、独伊防共協定、日独伊三国同盟(1940年11月)に参加し、完全なドイツのジュニア・パートナーとなった。直接ソ連とは敵対関係にはなかったが、独ソ戦開始とともに対ソ宣戦布告し、ドイツと運命をともにする。

●領土問題
●軍備
 ・陸軍 ・空軍
●ハンガリー軍の兵器データ
 戦車・装甲車両 航空機


(領土問題)
 第一次世界大戦敗戦後、ハンガリーは敗戦国としてトリアノン講和条約によって厳しく処罰され、2/3という多数の領土を喪失した。領土は93,000平方キロメートル、850万人にまでに減少させられた。そのため、領土回復はドイツと同様強かった。1938年のドイツによるチェコスロヴァキア解体時に多少の旧領土を獲得したが、最大の目標はルーマニアであった。ルーマニアは第一次世界大戦の戦勝国であり、ハンガリーからかなりの領土を得ていたため、ハンガリーから強い恨みを買っていたのである。1939年当時には両国の関係は険悪となり、開戦も時間の問題とさえいわれたくらいであった。その都度ヒトラーの取りなしで回避していたが、1940年6月にソ連が強引にルーマニア領ベッサラビア併合すると、ハンガリーも旧領であるルーマニア領トランシルヴァニアの併合をもくろむようになる。しかし、ヒトラーにとって、バルカン地方の混乱によってソ連が進出する余地を与えてしまうことに危機感を抱いたヒトラーはバルカン諸国の混乱を一気に解決すべく、いわゆるウィーン裁定と呼ばれる強硬な決定によって、ルーマニア領トランシルヴァニアのハンガリー帰属を決定した。また、1941年4月のドイツの対ユーゴスラヴィア戦に参加し、ハンガリーは相当の旧領を回復した。これら領土回復はひとえにドイツのおかげであり、ハンガリーはその後、ドイツと運命をともにする。
(軍備)
 ハンガリーは、ドイツ同様第一次世界大戦敗北後厳しい軍備制限を受け、独ソ戦開始時でも機械化が遅れていた。そのため、一部の快速軍団を別にすればほとんどの部隊は徒歩の歩兵であった。
・陸軍
 ハンガリー陸軍の主力は機械化の遅れから依然として歩兵であった。戦車兵力は、イタリア製のCVタンケッティ150両と純国産のトルディ軽戦車190両が主力であり、それらで3個旅団から成る快速軍団を編成し、独ソ戦においては南方軍集団に参加した。しかし、これら戦車は、独ソ戦において、ソ連製旧式戦車T-26やBT戦車にすら歯が立たないしろものであった。
・空軍
 ハンガリー空軍の主力戦闘機は、イタリアから輸入したレジオーネRe2000戦闘機であった。この戦闘機は1939年にプロトタイプが完成した近代的な戦闘機であり、ハンガリーは262機を輸入した。
 
(ハンガリー軍の兵器データ)
戦車・装甲車両
 全幅車体長全高
重量
装甲
最高速度
武装
乗員
CVタンケッティ
(イタリア製)
典型的な豆戦車(タンケッティ)。しかし豆戦車であるが故に装甲、装備とも貧弱で、独ソ戦において、ソ連製旧式戦車T-26やBT戦車にすら歯が立たないしろものであった。
トルディ軽戦車(純国産) スウェーデンのランツベルク社製のL60をハンガリーでライセンス生産したもので、
バルバロッサ戦時のハンガリー主力戦車であった。この戦車にはTからVまでのタイプがあった。

航空機
全幅
全長
エンジン
最大速度
武装
爆弾搭載量
乗員
レジオーネRe2000戦闘機
(イタリア製)
1939年にプロトタイプが完成した近代的な戦闘機であり、ハンガリーは262機を輸入した。


(注1)摂政ホルティ提督
 大戦間から第二次世界大戦までのハンガリーの実質的な支配者。
 提督とは一般に海軍の将官につけられる称号である。ハンガリーは戦後のオーストリア=ハンガリー帝国解体により海港を喪失し海軍を保有しなかったので奇異に感ずるかもしれないが、第一次世界大戦当時にはオーストリア=ハンガリー帝国海軍提督であった彼は、提督を称した。
 また摂政とは国王の補佐役の意味である。そもそも、ハンガリーは王政をしいていたにもかかわらず、周辺諸国が、第一次世界大戦勃発の当事者であるハプスブルク王家の復権を警戒し、圧力を加えたため、またホルティ自身が権力に固執し、国王の存在を望まなかったため、国王は不在だった。そのため、王政の体裁を取り繕うため、自ら摂政を称した。


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