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杉山 元(最終階級:元帥陸軍大将)
SUGIYAMA Hajime
(1880-1945)
−開戦時の陸軍参謀総長−
(2004.7.28作成)


 福岡県出身。1880(明治13)年1月1日生まれ。1900年陸軍士官学校卒業(12期)。日露戦争に中尉で出征、1910年陸軍大学校卒業(22期)。参謀本部勤務を経てインド駐剳武官。その後飛行第2大隊長、国際連盟空軍代表随員をへて、1922年初代の陸軍省航空課長となり、陸軍航空育ての親となる。 1923年陸軍省軍事課長、国際連盟陸軍代表、1928年陸軍省軍務局長、以後陸軍次官(満州事変開始時)、第12師団長、航空本部長、参謀次長(2.26事件時)兼陸大校長などをへる。2.26事件では反乱軍の要求を拒否し、討伐を指揮した。1936年に教育総監となり、同年陸軍大将。 1937年林内閣で陸軍大臣に就任、続く第一次近衛内閣でも留任。廬溝橋事件では強硬論を主張し、日中戦争拡大派を支持した。1938年には病気を理由に陸軍大臣を辞職するが、事変拡大派だったためとも言われる。軍事参議官となり、1938年12月北支那方面軍司令官となり山西省攻撃を指揮した。1939年靖国神社臨時大祭委員長。1940〜1944年まで参謀総長に就任し、太平洋戦争開戦立案・指導にあたる。1943年元帥号を拝命。1944年の東條首相の参謀総長兼任の際、辞任し教育総監に再任される。小磯内閣で陸軍大臣に再任されたが、1945年小磯内閣総辞職後、本土決戦にそなえて設立された第1総軍司令官となったが、敗戦後の9月12日に司令部で拳銃を胸部に4発撃ち込み自決、その知らせで夫人は短刀で自決した。
参謀総長時代の「杉山メモ」が残されている。

 以上の経歴にもかかわらず、才能に恵まれず、支那事変勃発から幾度となく戦局の見通しを誤り、部下の強硬論に必ず押し切られるところから「ボケ元」、「ドア」とあだ名された。年功序列によって単に順繰りで出世できたとも言えなくはない。
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