トップ人名辞典フランス−カ行−>モーリス・ガムラン

ガムラン
モーリス・ガムラン(フランス軍参謀総長)
−独仏戦当時の参謀総長−
Maurice Gamelin
(1872-1958)
(2004.4.22 加筆訂正 2007.9.4修正)

 フランスの将軍、大将。第一次世界大戦中はフランス軍総司令官ジョッフルの幕僚を勤め、1938年参謀総長となる。第二次世界大戦が勃発すると、西部戦線で連合軍総司令官として連合軍の指揮を執ったが、その第一次世界大戦の形式から脱却しきれていない古めかしい思想ではドイツ軍の電撃戦には対応できず、1940(昭和15)年5月、ドイツ軍の西方大攻勢の最中フランス首相ポール・レイノーによって解任された(後任はウェイガン大将)。後に責任を問われ、ヴィシー政府によって逮捕された。43年にはドイツに移送され終戦まで拘留された。

 第二次世界大戦での彼の戦争指導は支離滅裂と第一次世界大戦形式から脱却できない前時代的思想に彩られ、これがフランスの軍事的敗北に大いに貢献したのは言うまでもない。

 例を挙げると、パリ近くのシャトー・ド・ヴァンセンヌの砦に司令部を構え、そこから全フランス軍に命令を発していたが、幕僚を持たなかった。さらに驚くべきことに、無線、電話、テレプリンタ通信さえもなく、連絡手段といえば通常オートバイによる伝令によって届けられ、前線までに命令が届くのに48時間かかると行った有様であり、いわば「陸の孤島」と化していた。なぜ無電が無いのかと質問されたガムランは、それを設置すると自分の司令部の位置が察知される恐れがあるからだ、と答えている。

 また総司令部地下壕で、1940年5月10日午前1時、ドイツ軍が西進を開始したとの急報を受理した。ガムランは、副官がさしだす通信文を読み終わると、うつろな視線を宙にすえ、ぼんやりと寝室にもどっていった。副官は指示を期待して待機したが、一時間をすぎてもガムランからの音沙汰はないので、退出した。のちに、ガムランは調査委員会で次のように証言する。
「われわれは5月9日、ドイツ軍が、翌日に攻撃してくることは知らなかった。そのような兆候は無かった」
このガムランの証言は、フランス軍将校の多くを驚かせ、ガムランの「偽証」を非難する声も起こった。

 何故このような証言や行動を行ったのか。この理由については現在はっきりしている。それは、ガムランは神経梅毒に脳をおかされていたというものである。当時の一般的医療法であるヒ素性抗梅毒剤「サルバルサン」の投薬で悪化をおさえていた。さらに1932年、1933年に「マラリア療法」をうけて一時的に快方にむかい、参謀総長の要職についたが、その後病状が悪化し、次第に脳は荒廃していった。開戦になってからも、ガムランは、総司令部の地下の居室にとじこもって「瞑想」にふける姿勢をつづけ、ドゴール大佐は、総司令部の雰囲気を「僧院」と評した。現実には、ガムランは、神経梅毒による脳の荒廃により「考えをまとめる能力」が低下して、呆然としていただけであった。

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(参考文献)
第二次世界大戦 リデルハート著 上村達雄訳 中央公論新社(1999) など