ローマの領土について
(最終更新:1999.11.23)


●ローマの領土の範囲
 ローマ帝国の領土は、トラヤヌス帝時代に最大となり、北はブリタニア(現在のイギリス連邦)、南はアフリカ大陸の北岸、西はヒスパニア(現在のスペイン、ポルトガル)、東は現在のトルコとシリアにまで及んだ。
紀元2世紀(トラヤヌス帝時代)のローマ帝国の版図
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アフリカ大陸(エジプトを除く) エジプト・キレナイカ イタリア
シチリア・サルディニア ヒスパニア  ブリタニア
ガリア ゲルマニア 東欧(ドナウ川流域)
ギリシア 小アジア 中近東

●ローマ領土の統治方法
 ローマの領土は、本国であるイタリア、海外領土に位置づけられる属州(前241年以降)、そして、皇帝私領であるエジプト(前31年以降)に分けられる。またその他として、領土ではないが、ローマの影響力下にあった同盟国があった。
 

・本国イタリア
 そもそもラティウム地方の一都市国家から出発したローマは、幾多の戦争によって領土を拡大していった。敗れた敵は領土の一部をローマに没収され、かつローマ軍に兵を出す義務を負う同盟都市となるか、市民としてローマ国家に完全併合されるかした。なお、併合された市民には、ローマへの国政参加権である投票権を有するローマ市民権または、投票権を有しない限定的な市民権であったラテン市民権をあたえられた。また、ローマは没収した領土にローマ無産者階級から構成された植民団を送って、植民都市を建設した。
 前272年の南イタリアのギリシア系都市であるタレントゥムの征服完了によって、本国領土は、現在のピサとリミニの線以南のイタリア半島とされた。現在のミラノを中心とする北イタリアが本国に編入されたのが前49年のことである。

・属州
 属州とは、ローマの海外領土とでもいうべきものであり、本国であるイタリアとは区別された。
 第一次ポエニ戦争の勝利によってカルタゴより割譲されたシチリア島に設置したのが始まり。その後、ローマの領土拡張に伴い増加していく。
 帝政時代、初代皇帝アウグストゥスによって、属州の統治管轄権を、元老院と皇帝に分割した(それぞれ、元老院属州、皇帝属州という)。
 ちなみに、属州を意味する「provincia」という言葉は、本来、「任務の範囲」を意味していた。ところでこの直接支配領域は明確な地理的境界を持つ任務範囲であったため、provinciaという言葉は、地理的な意味を持つこととなり、ついには、本来の政務官の「任務」というよりも地理的領域そのものを意味するようになったのである。
→属州の統治について

・皇帝私領エジプト 
 エジプトは、プトレマイオス朝滅亡後、ローマ領となった。人口と軍団駐留とで一流の属州に匹敵したが、長年神政一致の王政に馴染んだエジプト人を統治するためには、総督や知事ではなく、皇帝が王=ファラオとして直接統治する必要があった。そのため、皇帝は自らの代理としてエジプト領事を派遣した(騎士階級出身者から皇帝が任命し、皇帝のみに責任を負った)。法的には属州とは言えず、皇帝私領であった。

・同盟国
 公式には、「ローマの友人であり同盟者」という。建前上はローマの覇権を認めた独立国であったが、実体としては、ローマの隷属国的なものであったようである。ローマとの間に相互安全保障条約を交わしており、戦時においては、ローマの求めに応じて、兵力を派遣する義務を負う。
→同盟国一覧


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