●護民官(tribunus plebis)

(共和政時代)
 貴族に対抗して平民の権利を守ることを目的として設立された(前494年;聖山事件)。設立当初、法的な政務官職ではなかったが、選出母体の平民集会が、民会として承認にされるに従い、政務官職として認められる(前287年)。任期は、1年間で、定員は当初の2名から最終的には10人となる。年齢上の資格はないが、平民で貴族階級に属していないことが唯一の条件。権限としては、平時においてすべての政務官布告に対する拒否権(戦時においては例外)と、任期中は処刑されることはないという身体の不可侵権、平民集会及び元老院召集権を有していた。退任後には、元老院議員となれた(前4世紀)。毎年7月に平民集会で選挙を行い、12月10日に就任。

・スッラの改革
 内乱の勝利者であったスッラは、ローマの混迷の原因を、護民官の強大なる権限のためと考え(グラックス兄弟の改革時の混乱などがその例)、様々な「骨抜き策」を講ずる。

1.当初は再選出禁止の事項がないので続けての就任は可能であったが、10年間の再任禁止期間が定められる。
2.護民官経験者は、ほかの政務官職への就任を禁止される(なお、経験者に自動的に元老院議員議席を与える制度はそのままだった)。結果として、これ以後の護民官職は形骸化していくこととなる。


(帝政時代)
 実際の権限は、護民官権限をもった皇帝が持つようになった結果、全くの名誉職となった。ただ、3世紀あるいは5世紀頃まで、元老院議員の経る一種の名誉職としては存続していた。

(注)護民官権限(tribunicia potestas)
 「護民官としての権限」を意味する。帝政を始めたアウグストゥスは名門貴族であるユリウス一門に属するため、護民官就任ができなかったので、権限のみの付与を元老院に懇願し、それが認められた。これ以後の歴代皇帝は、即位時にこの権限を与えられ、1年ごとの更新(トラヤヌス帝時代以後は12月10日)をおこなった。
 権限としては、以下のようなものがある。
1.肉体の不可侵権
2.平民集会の召集権
3.あらゆる追訴からの免除
4.あらゆる行政上の措置に対する拒否権の保持、
5.政策立案の権利

なお、皇帝の権限と、一般の護民官の権限との相違は、後者が同僚制で任期が一年に対し、前者は1年ごとの更新であったが、事実上の終身で世襲制。そして、後者が首都ローマに限られるのに対し、前者はローマ帝国全域にわたって、職権を行使でき、かつ、後者の拒否権をも拒否できた。


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