共和政初期に見られる役職


 以下の政務官職は、共和政の一時期にのみ見られるものである。

●執政官権限軍事担当官(tribuni militum consulari potestate)(前449年〜前367年)
 共和政初期に存在した役職。前449年に初めて現れ、当初は執政官と併存していたが、前426年には、執政官は執政官権限軍事担当官に権限を委譲し、消滅していたようである。前367年に執政官職の復活に伴って廃止。定員は、当初3または4名であったが、405年以降は6名に変更になった。
 職権としては、理論的にはinperium(命令権)を持たず、従って凱旋将軍として凱旋式を挙行できないいわゆる「小型化した執政官」であったようである。また、定員増加を行ったため、しばしば執政官権限軍事担当官内部での統一した決定を行うことが難しく、非常事態時には独裁官を選出して事に当たらなくてはならなかった(事実、この時期はしばしば独裁官が選出され、前440年〜前406年だけをみても、8回選出が確認されるという)。
 設立理由としては、この当時行われていた貴族層と平民層との政治闘争に関係するという説がある。すなわち、この時代、政務官職を独占していたのは貴族層であったが、平民層のなかの裕福層が政治参加を求めて平民層への政務官職解放を要求するようになっていった。これに対し貴族層が定員を増加させて既得権益を侵さないとともに、平民層にも参加できるようにしたいわゆる妥協的な産物であったというのである。しかしこれも定かではなく(例えば、平民層出身者が初めてこの役職に就任したのは前400年であった)、いずれにしても、特定の人物に権力を集中させないために試行錯誤的にもうけられた一時的な官職であったらしいというのが有力である。


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(参考文献)「ローマ共和政」A・クレリシ、A・オリヴジ共著(白水社)(1969)