ローマの官職
(共和政期)
(最終更新:1999.9.26)


●概要
 伝承によれば、共和政成立と同時にかつての王が有していた権力を二人の執政官へ継承させたこととなっているが、実際には、スムーズに行われていなかったらしい。例えば、2人の執政官に代え、6人の執政官権限軍事担当官を最高官職として設置した時期もあったりと、いろいろな試行錯誤が行われた。最終的には、リキニウス法制定時(前367年)にはほぼ確実な形となったようである。共和政初期に見られる政務官職の成立の変遷については諸説があるが、ここに、ある一説を挙げてみる。

 王政が打倒され、共和政が成立したとき(前504年)、かつての王(rex)が持っていた権限を1人の最高長官(praetor maximus)が継承し、1年ごとに有力貴族が交代で就任した。その後、いわゆる貴族と平民との権力闘争の最終段階で、もともと単独職であった最高長官職を平民によってしめられることを恐れた貴族階級は、最高長官職の定員を3人とし、その上で平民がその一人に就任できるとされたのである。ほぼ同じ頃、単独の最高長官に率いられていた軍隊が、二つの軍団(legio)に分割され、2人の最高長官が指揮することとなったが、平民階級は、そのうちの1人を平民階級がしめることを要求し、これが認められたので、貴族階級出身の最高長官と平民階級出身の最高長官がそれぞれ軍団を指揮することとなった。なお、3人目の最高長官は首都ローマの政務を担当することとなった。時がたつにつれ、同格であった3人のうち、軍の指揮権を持つ最高長官が相対的に格上となっていき、これが執政官となり、残りの首都ローマの政務を担当していた最高長官が法務官となっていった。さらに法務官は、紀元前3世紀にはもう1人増員され、同役組織となった。

 これら政務官の大きな特徴としては、

1.無給であったこと
2.2人またはそれ以上の複数の人員で構成(同僚制原則;ただし、独裁官は例外)
3.1人が複数の官職を同時に兼ねることはできない(官職兼任の禁止の原則)。
4.任期は1年(1年任期の原則;ただし、独裁官、監察官は例外)
5.下位の政務官の決定及び同僚の決定を拒否することができる(拒否権veto)。

 上記以外で、政務官の特徴として特記しなければならないこととして、彼らを補佐するいわゆる現在に見られるような官僚制度がなかったことである。政務官は誰でも、必要とする補助者を自ら調達した。多くの場合、自家の解放奴隷及び奴隷であった。ただいくつかの特定の職務については、政務官は、職能団体に組織され国家から俸給を支払われる補助吏(アパーリトル)を使うことができた。これら補助吏としては、書記(スクリーバ)、政務官の象徴であるファスケスを奉持しその執行にも当たった警士(リークトル)、それに送達人(ウイアートル)と公布人(プラエコー)がある。これら補助吏は終身であったが、その政治的身分はきわめて低かったのである。

 なお、政務官には、imperiumを有するものと、imperiumをもたず、特定の職務権限(potestas)しか持たない者とに分けることができる。前者は独裁官、執政官及び法務官、後者には按察官、財務官、護民官及び監察官がこれに属した。
 imperiumとは、王政時代の王が持っていた無制限かつ排他的な強大な権力(軍事指揮権及び司法権など)を意味する。共和政移行時に、この王の持っていた権力は、当初は最高長官、後の執政官及び法務官に受け継がれることとなる。
 なお、imperiumを有する政務官は、その権力の象徴としてファスケス(斧)を持つ警士(リークトル)を従えた。その数は、独裁官24人、執政官12人、法務官6人であり、政務官の赴くところこのリークトルが付き従い、その数で、その人の官職及びその上下関係がわかるようになっていた。例えば、道ばたなどで上位の官職ものに出会った場合、下位のものは、そのファスケスを下げなければならなかった。ちなみにこのファスケスは、王政時代に、実際、王がこれを用いて人を処罰したことから由来し、そこから、imperiumを標示する象徴となったのである。
 職務権限(potestas)だけを有する政務官は、imperiumを有する政務官とは違い、ある特定の職務を行うための権限を与えられたものをいい、権限の範囲は限定的であった。財務官は、imperiumを有する政務官の命令下に置かれていた。護民官については、市民集会ではなく平民集会で選出されていたため、imperiumを有することはできないとされた(imperiumを有する政務官の選出権は市民集会にのみあったため)。監察官については、後に執政官と並ぶ重職とされたが、法理上はあくまでもある特定の職務を行うimperiumを持たない政務官にすぎなかった。
 
任期(年) 定員(人) 元老院召集権 平民集会召集権 市民集会召集権 軍事指揮権      
(imperium)
立候補資格年齢(スッラ時代)
独裁官 0.5 1 規定なし
執政官 1 2 ×→○ 42歳以上
法務官 1 2→3→6→8→16 39歳以上
按察官 1 3→4→6 × × × × 30歳以上
財務官 1 2→8→20→40→20 × × × × 30歳以上
護民官 1 2→10 ×→○ × × 規定なし
監察官 1.5以上 1 × × × × 規定なし
その他
 最高神祇官
 中間王
 共和政初期に見られる役職
  ・執政官権限軍事担当官
 政務官代行職
 (参考)凱旋将軍  

(参考)スッラの改革による昇進最少年数
財務官(30歳)→元老院議員議席を得る(31歳)→法務官(39歳)→属州統治(前法務官資格で(40歳))→執政官(42歳)→属州統治(前執政官資格で(43歳))


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