ローマ帝国の滅亡について

(2008.11.27作成)

 古代ローマ帝国の滅亡は、一般的には西ローマ帝国の皇帝ロムルス・アウグストゥルスがゲルマン人傭兵隊長であるゲルマン人オドアケルによって廃位され、東ローマ帝国に西ローマ帝国皇帝の称号を返還した476年をもって終焉し、そこから中世が始まったこととなっている。一方、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、オスマン帝国のメフメト2世が首都コンスタンティノープルを陥落させた1453年をもって終焉する事となる。しかし、東ローマ帝国は幾多の戦乱などの国家の危機においてその都度、各種制度(軍事、行政など)などを変えていき、「中世化された帝国」ともいわれた。結果、古代ローマ帝国とは似ても似つかないものとなっていたので、古代ローマ帝国とは呼ばず「中世ローマ帝国」と呼ばれることがある。

 476年自体はローマ帝国の歴史の中で特に目立つ年ではなく、国家滅亡につきものの、多くの戦乱や大混乱が起きたわけではなく、静かにあっけなく終わった。まるで老人が誰にも看取られることなくひっそりと老衰死したのに似ている。そもそもロムルス・アウグストゥルス帝は、東ローマ帝国にも認められた正統な西ローマ皇帝ネポス帝をクーデターによって追放したゲルマン人オレステスが、実の子を擁立した傀儡皇帝で、東ローマ帝国を始め近隣諸国は皇帝と認めていなかった。なので、正統な西ローマ帝国皇帝であるネポス帝が殺害された480年を西ローマ帝国が滅んだ年とする学者もいる。

 しかし、これ以後も西ローマ帝国が存続したという意見がある。800年にフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)が、ローマ教皇から西ローマ帝国の称号を受けたことによって西ローマ帝国が復活し、また東ローマ帝国皇帝がそれを認めた。以後それは神聖ローマ帝国に引き継がれたということがその根拠である。
また、1453年に東ローマ帝国が滅んだ後も、征服者であるオスマン帝国や東ローマ帝国皇帝の血縁者と結婚して皇統がないわけではないロシア帝国がローマ皇帝の継承を主張した。もちろん、これは形式的なことではあるが、こういった経緯があるため、ローマ帝国がいつ滅んだのかということを複雑化させている。

 個人的な結論としては、476年前後の5世紀後半が妥当なところであると考える。

参考サイト
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/nagai/roman_empire.html
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